察すること、空気を読むことはコミュニケーションにおいて大事ではあるが、たぶん、言葉にすることもまだ大事だと思うのだ。
理解できることがあれば、言葉にして貰えないと気付かないことの方がはるかに多い。昔は寂しく感じたけど、今はそれが普通であり、人と人の繋がりは分かり合えないことをベースにお互いの努力と誠意で築き上げた尊いものと思う。
説明しても気持ちが追いつかない時は、一旦自分と向き合うことに専念するのがいいかもしれないね。
僕が言葉にしたわけでもないのに、その人の頭で想像した僕が言ったことやしたことの責任までは取れないんだ。
優しくしたいから自分のできる範囲で相手の心に寄り添うだけなんだ。それでもきっと分からないことの方が多いし、してあげられることなどあまりにも少ない。
それが今じゃ荊の冠となったのは残念ではあるが、そういうこともあるでしょう。
自分が思う優しさは相手にとって必ずしも居心地の良いものとは限らない、逆も然り。
延々と悩んでばかりじゃきりがない。だからちゃんと答えを出そう。言葉にして相手に伝えることが大事なんだ。
僕にとってはこれで縁切りとは思わない、そのために言ったわけでもない。ただ気持ちが乱れたままでは、本来見えるものも見えなくなるのがあまりにも惜しいだけだ。
それはたぶん、相手にとっては理解しがたいことでしょう。揉めるのも泣かせるのも嫌な思いをさせることは不本意ながら、変わってしまった以上元通りには戻せないんだ。
だが、変ることは悪いことばかりではない。今は少し離れても、いつかまた歩み寄る日が来るかもしれない。それはきっとお互い次第、見えないえにしなどに頼るとも思わない。
この世界での旅を始めてから一緒に色んな冒険をしてきた仲間たちだから、きっとまたどこかで会えるよ。